64 今年を経験して
毎年なのですが今年もあっという間に終わろうと感じます。
皆さんにとって2025年はどのような年であったと一言で表せますか。
僕自身の2025年をお伝えします。
仕事に関しては僕にとってまさに“耐える”年となりました。
何かを考えて行動すると直ぐに壁が立ちはだかりそこから進めず右往左往する状況が続きました。また、年齢が還暦を超えたところですが、少し体力低下を初めて実感するようなことも何回かありました。
なんだが、自分でやろうとしていること、考えていることと実際にやっていることの差を身につまされるようで歯がゆいことも多くありました。焦りや苛立ちも感じることも多かったと思います。
ただ、このような事が何度も経験すると別の感覚も生まれました。この進まない状況でも結果を振り返ると得られることもありました。
一つは人の考えの取り入れ方を学んだように思います。
その中でまずは人の助けを強く感じました。今までは、ほとんどどんなことも自分で考え決断し行動して押し切ることが多く、それが自分のスタイルと思っていました。しかし、最近は自分の近くにいるスタッフになんでも相談しようと思い、素直に自分の考えや気持ちを伝えるようにすると、自分では思いつかない意見をもらうことができて、自身の考えを客観的にとらえることができ、また再考することができるようになりました。
実際、大きな決断を強いられるときは、自身の考えが本当に最善、最適であるか迷うことも多いです。
このような時には、真に考えてくれる仲間がいるのは本当に有難いし、力強い助けとなります。
マッキンゼーやボストンなどのコンサルタントの会社が大手の企業が生き延びてゆくのにこのような会社が必要で存在しているのがよくわかります。
自分以外の考えは物事を進めるうえで重要です。
逆に、自分の意見を否定する考え方も重要です。自分の意志に否定する考え方や意見は、一見、自分にとっては“ノイズ”ということになるかもしれません。“ノイズ”と表現すると、良くないもの、雑音、不要なものという否定的な意味合いで使われることが多いと思います。そうではなく、物事はもともと不完全であるから進むということを取り入れることが重要です。
否定的な意見は感情的には受け入れることは難しいかもしれませんが、なぜその意見を述べるのか、その背景や真意を考えるようにすると、その人の意見を理解し、物事が大きくとらえて考えることができいろいろな正解を導いていけるようになるのです。
決定前の不完全の状態はどちらにも進むことができる自由度を持っていると思います。
この自由度はある種の魅力とときめきをもっています。
個人でも会社でも人が生きていく中で解決しなければいけない多くの問題や出来事は必ず発生します。
その出来事の発生時はいつも不完全な状態にあり、それに対しての解答の選択には自分にとっての正論や逆論も存在し、そこに自由が存在しています。
最後はどんな選択をしても自分が理解し納得すれば、それがその人のとるべき道であり、最終的にはhappyと自身が感じればそれで良いのではないかと思います。
だから、自分に味方してくれる人はもちろん、反対者であっても意見を取り入れ対極的に考えを自分の心にいれてフラットに考えることが大切ではないかと思います。
こんな思いを強く感じた1年であったような気がします。
人は、生きていく中で数多くの決定を強いられます。その際に人との関係が大きく左右することがあると思います。
そして人とのかかわり方がその人の価値につながるような気がします。この積み重ねが大切です。
例えば物であっても使い込んでいくことでボロボロになり渋くなってくものがあります。物は新しければ新しいほど良いという考え方になりがちですが、例えばノートルダム寺院は今まで沢山の修繕をされながら存在し続けています。京都の寺院も約1000年の歴史を持っているものがたくさんあります。
古びていき、そこに汚れがついたり、場合によっては欠けたりすることで物が価値を持つという価値観は、日本人が得意な考え方でもあります。他にも、金継ぎなども例に挙げられます。欠けてヒビが入っても、それを修復したことでさらに価値が上がることがあります。
そう考えると年齢を重ね、体の調子が少しずつすぐれないのも悪いことばかりではないし、受け入れていけそうな気もします。
ただ、一つこれ以上悪くなるのを受け入れたくないのは、ゴルフのスコアですけどね。
令和7年12月:いしづかクリニック
院長 石塚 俊二
