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09 感じることの意味

患者さんと接する中でたくさんの“感じること”を実感する。外来治療や在宅医療においても、常に患者さんの病気の治療について考えて色々な話をしているのですが、その治療の基本は“感じる”ことだと思うようになった。
医師が話すことに患者さんがどのように感じているか、直接的な言葉だけではなく、表情や仕草を見ながらその患者さんの気持ち感じるようにすることが治療の本質に繋がると思う。
悩んでいる医師のイメージイラスト医師を始めて5、6年目で大学病院に勤めていた時に、膠原病の重症の患者さんを受け持ち、治療に苦慮した時に、ある年配の上司の医師に相談にいくと、いつもその医師は“先生はどのように感じているの、考えることより感じることだよ”と言い、次に相談すると“重要なのは先生のsoul(魂)だよ”だとも言われ、最後には“先生が祈ることだよ”と言われ、結局、最後まではっきりとした治療方針を伝えてもらうことはありませんでした。

こちらは、わらにでもすがりたい思いで相談しているのだが、いつもこのような調子なので少し腹立たしく思い、自分でその治療のありとあらゆる方法を考え抜き、方針を決定し、その先生以外の上司の了解を得て、患者さんに伝え治療を行っていた。しかし、大学病院時代はこのような医師のスタイルで医療と向き合ってきたが、最近、年齢とともに少しずつその上司の言葉が分かるようになってきたように思う。

 

外来診察中にある高齢者がお孫さんの話をしている時が一番微笑んでいるように感じたので、診察時には必ずお孫さんの生活状況を聞いてから診察すると自分の症状をいつもより正確に伝えてくれる。また、治療薬を提案し患者さんの顔が曇るようなことを感じれば、次の治療の提案を頭の中で用意しておき、治療の選択を増やしておく。
言葉以外の患者さんの表情、仕草、声のトーンの変調を自分で感じて次の言葉に繋げ会話を探す。患者さんの何気ない様子を自分で感じることが重要で、それによって病気の苦しさもやさしく受け止められるのだと思う。

 

若い時は仕事場ではピリピリした緊張があり、常に考え決定しなければ患者さんに最高で最善の治療を提供することができないし、医師はその絶対の義務があると思って自分を奮い立たせ臨床にあたってきました。
時には治療について上司と意見の相違で言い合いになったこともあります。また、思い通りにいかないときは“どうしてよくならないのだ”と自分を追い込んでいくときも多々ありました。
“こんなに毎日、患者さんの状態を観察しているのに”“こんなに論文を調べぬいて治療を考えているのに”“こんなに休みも休暇もすべてを犠牲にして治療にあたっているのに”よくならないと心が折れそうになることも数多くありました。
いのちを相手にすると、ついつい力がはいります。もちろんそのような考えも必要であると思いますが、最近は少しずつ病気に対しては“そうかもしれない”“まあ、こういうこともあるか。しょうがない”とゆるく受け止められるようになりました。同時にそう思うことで治療を考えることも楽になり会話の行間も楽しめるようになってきました。
診察室でいろいろな患者さんからたくさんの話を聞きます。いつも1人の患者さんの診察が終わると次の患者さんを迎える前に大きく息をするようにしています。肩の力が抜けて“さあいらっしゃい”というゆっくりとした気持ちになれます。短い時間の間にしみじみとした会話があります。“そやね、わかるわ”“そうなん”とその患者さんの気持ちを声に出すと、不思議に自分と患者さんが入れ替わったように感じ、その第6感のような感覚を感じると自分の気持ちも楽になり、求めてられていると幸せな気分になります。

 

ある90歳を超える患者さんが“先生のおかげで元気で長生きができる”とニコニコしながら言われました。正直お世辞だとわかっていてもこの言葉一つで僕は身に染みて嬉しく感じることができ、その言葉の思いを大切にして患者さんを体で感じることができる感覚になりました。この感覚があるが故、僕がゆるゆるの気持ちで患者さんを受け止めるという診療が少しずつ培われてきたのだとも思います。また、この“感じること”を重要に思う先には、いのちは自然のもので、医師は、治療によってそのお手伝いをしているのだと強く思います。

 

患者さんを診察しているイメージイラスト先日、癌終末期の在宅治療の患者さんが呼吸状態を悪化したために夜に往診に行きました。胸の圧迫感を自覚して険しい表情で臥床しておられました。いのちをささえる介護の家族の顔も不安で一杯の様子です。こころの緊張を取るのが僕の役目でもある。できるだけこころをもみほぐすようにゆっくり話をしていきました。患者の不安に対して家族も不安になるのは当たり前のことである。家族の気持ちもたくさんあり雑談するうちに少し落ち着かれました。
最後に僕が帰ろうとしたとき、まだ呼吸苦があろう中で患者さんがにっこりとして右手を僕に差し出されました。僕はしっかりと握手をしてその思いを体いっぱいに満たし、感じるようにしました。そして、ぎりぎりのいのちと接する時もゆるくにこっとしている自分に気が付きました。その3日後に患者さんは天寿を迎えました。
考えるより感じることの重みを感じ、以前の先輩医師の言葉が少し理解できたように思えました。あの日の深夜、外の風は寒かったが、僕の心は十分暖かく満たされていました。

著者:石塚ファミリークリニック 
院長 石塚 俊二

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